社会復帰スタート
社会復帰ができるようになりもうすぐ2ヶ月
が経ちます。久しぶりに働き、お給料を
頂いた時はうれしくてうれしくて。
また歩けるようになり、働いている自分が
あの苦しかった当時には想像もできませんでした。
現在の仕事はオペレーターです。
私の左足のことを考え負担の少ない業種。
足をさげていると足の色が真っ青になったり、痛みが現れ
ことがじっと座っていることが難しかったのですが、
血流もよくなり、左足との感覚の差もあまり感じられません。
自分の体のことを思いやること工夫して生きていくこと大切なこと。
私の左足は悪くもならず順調です。
が経ちます。久しぶりに働き、お給料を
頂いた時はうれしくてうれしくて。
また歩けるようになり、働いている自分が
あの苦しかった当時には想像もできませんでした。
現在の仕事はオペレーターです。
私の左足のことを考え負担の少ない業種。
足をさげていると足の色が真っ青になったり、痛みが現れ
ことがじっと座っていることが難しかったのですが、
血流もよくなり、左足との感覚の差もあまり感じられません。
自分の体のことを思いやること工夫して生きていくこと大切なこと。
私の左足は悪くもならず順調です。
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元気なお声
先日の朝、お電話がありました。
I先生の病院でお知り合いになったYさんからです。
はじめてお電話を頂きました。
長いリハビリ通院を続けてきた日々の中で、
気さくに話かけて下さったYさん。
リハビリが打ち切りになった日、私たちは
また会えるようにとお電話番号と住所を交換。
お電話口でYさんは「元気にしてる?」と。
なつかしいYさんの声を聞くととってもうれしかったです。
「痛みはある どう?」と尋ねて下さいました。
「元気にしています ありがとうございます、Yさんは
調子はどうですか」と私。
お互いの症状を伝え、痛みがでないようにと
工夫した生活をお話しあったり、日常生活で楽しんでいることを
話合います。
「元気そうな声が聞けてよかったわ。なんだか元気がでたわ
また病院で会えるかしらね。」とYさん。
とってもすてきなYさん(お母さん)です。
I先生の病院でお知り合いになったYさんからです。
はじめてお電話を頂きました。
長いリハビリ通院を続けてきた日々の中で、
気さくに話かけて下さったYさん。
リハビリが打ち切りになった日、私たちは
また会えるようにとお電話番号と住所を交換。
お電話口でYさんは「元気にしてる?」と。
なつかしいYさんの声を聞くととってもうれしかったです。
「痛みはある どう?」と尋ねて下さいました。
「元気にしています ありがとうございます、Yさんは
調子はどうですか」と私。
お互いの症状を伝え、痛みがでないようにと
工夫した生活をお話しあったり、日常生活で楽しんでいることを
話合います。
「元気そうな声が聞けてよかったわ。なんだか元気がでたわ
また病院で会えるかしらね。」とYさん。
とってもすてきなYさん(お母さん)です。
太さ同じ
先日、久しぶりにI先生に診察をして頂きました。
いつものように
「おっ こんにちは
どうだい調子は」で始まる先生の言葉。
「はい先生調子はいいです。ありがとうございます。
寒くなってきたので、傷口のあたりが痛いですが
元気です。」と私。
寒い日は、特に左足の皮膚の温度が右足と少々違うような
感覚があるような気がしたり、傷口がピリピリと痛いですが、
あの恐ろしい触ることもできなかった痛みはすっかり消えて
とっても元気に過ごしている私です。
両足の太さの差も手術後退院してから約2年間かかりましたが、
I先生に測ってもらい「同じ同じやったね。」と。
太さの差がなくなりました。
バランス良い足の太さ
私はうれしくてうれしくて。
診察の度に左足の太さを測ってもらい
まだ「-○cm」左の方が細い・・・という日々
太くしなきゃとがんばって歩いていました。
毎日こつこつ歩くこと、積み重ねで、左足は元気にしています。
いつものように
「おっ こんにちは
どうだい調子は」で始まる先生の言葉。
「はい先生調子はいいです。ありがとうございます。
寒くなってきたので、傷口のあたりが痛いですが
元気です。」と私。
寒い日は、特に左足の皮膚の温度が右足と少々違うような
感覚があるような気がしたり、傷口がピリピリと痛いですが、
あの恐ろしい触ることもできなかった痛みはすっかり消えて
とっても元気に過ごしている私です。
両足の太さの差も手術後退院してから約2年間かかりましたが、
I先生に測ってもらい「同じ同じやったね。」と。
太さの差がなくなりました。
バランス良い足の太さ
私はうれしくてうれしくて。
診察の度に左足の太さを測ってもらい
まだ「-○cm」左の方が細い・・・という日々
太くしなきゃとがんばって歩いていました。
毎日こつこつ歩くこと、積み重ねで、左足は元気にしています。
大笑いのお正月
今年も母は思い出話を私にしました。
「病院で笑うこともできず苦しんでいる顔をしていたのに
手術をしてから数ヶ月後の1月パパがお見舞いに行った日
大笑いしてパパとお正月漫才の番組をみていたこと聞いたときは
『笑った顔の私の娘がいる』って思って本当に安心したよ。」
痛くて苦しくて笑う余裕など全くなかった私が
捻挫をし、CRPSになり手術をしてもらった後(約7ヶ月後)
に笑える自分を取り戻しました。(2006年お正月)
そして、とっても寒い日には、2月の寒い寒い日の
退院日の話をします。
「寒い寒い日に病院から家に帰ってきたね。」
私の左足にできたCRPSはいろいろな思い出を作ってくれているようです。
「病院で笑うこともできず苦しんでいる顔をしていたのに
手術をしてから数ヶ月後の1月パパがお見舞いに行った日
大笑いしてパパとお正月漫才の番組をみていたこと聞いたときは
『笑った顔の私の娘がいる』って思って本当に安心したよ。」
痛くて苦しくて笑う余裕など全くなかった私が
捻挫をし、CRPSになり手術をしてもらった後(約7ヶ月後)
に笑える自分を取り戻しました。(2006年お正月)
そして、とっても寒い日には、2月の寒い寒い日の
退院日の話をします。
「寒い寒い日に病院から家に帰ってきたね。」
私の左足にできたCRPSはいろいろな思い出を作ってくれているようです。
theme : こんなことがありました
genre : ブログ
履物への思い
今日で1年が経ちました。
装具を外し杖を持たずに歩けるようになった私。
お気に入りのNIKEの靴に出会えたのは去年の10月8日。
次の日、装具をつけて歩けるようPさんと相談し
ハサミを入れてもらった靴にありがとう&bye bye
をしました。

捻挫後、CRPSタイプⅠ(RSD)になる前に
気に入って履いていたミュール。
生き生きとして様々な仕事を楽しんでいた私が
唯一こだわっていた履物。
車椅子の生活で入院していた時には、
ヒールのある靴を履いている女の人の
姿をみると母に「ねぇ、私もあんな靴を履いて
また歩けるようになるかな」と言っていたそうです。
(母にとってはきつい質問だったと思います。)
退院後もおしゃれな靴への未練が捨てられず、
いつかまた履けるようになる
それまで大事に靴箱へ。
そして、私はいつぐらいか
「いつかまた履けるようになるよ」と
誰かに言われることに対し胸が少し痛く感じるようになりました。
でも、先日の診察日のふとした会話で、
正直に「いえ、もうサンダル系のものはうまく履けなくて
この運動靴でずっと・・」とニッコリ言え、
I先生はうなずいて下さった時、なぜかホッとしました。
今日久しぶりにヒールのある靴たちを見て綺麗にしてあげて
他の人に履いてもらうことを決めました。
私の左足に痛みを与えないステキな履物を慎重に選び、
歩くことが一番♪♪
装具を外し杖を持たずに歩けるようになった私。
お気に入りのNIKEの靴に出会えたのは去年の10月8日。
次の日、装具をつけて歩けるようPさんと相談し
ハサミを入れてもらった靴にありがとう&bye bye
をしました。

捻挫後、CRPSタイプⅠ(RSD)になる前に
気に入って履いていたミュール。
生き生きとして様々な仕事を楽しんでいた私が
唯一こだわっていた履物。
車椅子の生活で入院していた時には、
ヒールのある靴を履いている女の人の
姿をみると母に「ねぇ、私もあんな靴を履いて
また歩けるようになるかな」と言っていたそうです。
(母にとってはきつい質問だったと思います。)
退院後もおしゃれな靴への未練が捨てられず、
いつかまた履けるようになる
それまで大事に靴箱へ。
そして、私はいつぐらいか
「いつかまた履けるようになるよ」と
誰かに言われることに対し胸が少し痛く感じるようになりました。
でも、先日の診察日のふとした会話で、
正直に「いえ、もうサンダル系のものはうまく履けなくて
この運動靴でずっと・・」とニッコリ言え、
I先生はうなずいて下さった時、なぜかホッとしました。
今日久しぶりにヒールのある靴たちを見て綺麗にしてあげて
他の人に履いてもらうことを決めました。
私の左足に痛みを与えないステキな履物を慎重に選び、
歩くことが一番♪♪